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2013年02月22日

「さふらん湯」のシンボルマーク

さふらん湯のシンボルマークは「神功皇后」とその家来「武内宿禰」(左の翁)、神功皇后には卑弥呼説もありますが第14代仲哀天皇の后、第15代応神天皇の母と言うのが一般的です。

神功皇后は熊襲(くまそ)族征伐の途中で崩御した仲哀天皇亡き後、天皇に代わり熊襲を静定しました。
神功皇后は聖母神として伝えられており、当社に伝わる「堤焼」の神功皇后像は、当時隆盛を極めた遊佐一貫堂から引き継がれたものと推察されますが定かではありません。一方、「金看板」は遊佐一貫堂が「塩釜さふらん湯」の販売店に配ったもので塩釜神社宝物館に現存するものです。
金看板に書かれている「血の道の薬、安産の妙法」は当時の「さふらん湯」キャッチフレーズだったのでしょう。
血の道は自律神経失調と解釈され、更年期に発症する不定愁訴の原因は自律神経失調によるものであり、古来「血の道症」と称されてきました。目眩(めまい)、手足の冷えと頭部ののぼせなど自律神経失調による不定愁訴でお悩みの方には「さふらん湯」がおすすめです。

2013年02月21日

ドラッグストアSHOW

幕張メッセで行われた「ドラッグストアSHOW」に行ってきました。お上りさんと笑われてもドラッグSHOWより東京見物、浅草寺境内からスカイツリーを見てきました。

様々な新製品が紹介されていましたが、これぞ」と思うものは・・・、私感ですが。

2013年02月20日

振り出し薬

「さふらん湯」は振り出し薬。
若い人からは「振出し薬って何〜?」とか「うわーレトロ〜」なんて言われそうですが、昭和の始め(戦前)頃の婦人薬(血の道=更年期)の薬はこのような「振出し薬」が全盛でした。
大陸から伝わった伝承医学もとに、我が国独自の処方が国内各地で発祥した和漢薬は今日まで飲み継がれてきました。

DSC03006.JPG左の画像は「ま綿薬」といわれ、原料生薬を包む紙(ヒートロン紙)が貴重だった時代に、原料生薬を紙の代わりに真綿でくるんだもので「振出し薬」の原型です。
今日の「振出し薬」は右の画像のように、「さふらん湯1袋」をティーポットに入れこれに熱湯を注ぎ1〜2分で薬湯が出来上がりますのでこれを服用していただくのが現代の「振出し薬」なのです。
今から180有余年前、電気もない時代に処方が開発された「さふらん湯」ですが、今日では高速液体クロマトグラフによる成分定量試験ほか、医薬品としての各種試験検査をクリアした医薬品なのです。

2013年02月19日

昭和47年頃のパッケージ

20130219_4.JPGGMP(医薬品及び医薬部外品の製造管理、及び品質管理基準に関する省令)の施行を機に「塩釜さふらん湯」の製造は遊佐一貫堂から(株)鈴彦の全額投資で設立された「塩釜蛮紅華湯」に委譲されました、これはその当時のパッケージです。

DSC03006.JPGこの黄色に黒のパッケージは印象的だったようで今日でも「蛮紅華湯」ってあの黄色の箱の・・・、と言われますが現在は「蛮紅華湯」を「さふらん湯」と表記するなどして分かりやすいパッケージになっております。
検査結果は正常値なのに身体が優れない、何となくだるい、頭が重い、眩暈(めまい)がするなど更年期における特徴的な不定愁訴を感じたら、是非「さふらん湯」お試しください。

蛮紅華湯POP

20130219_1 (2).JPG3.11の震災で被災した田老町。
その田老町で今は仮店舗で営業しているお得意先のある薬局を訪問したおり、年配の婦人から「このお茶は身体が暖まっから飲まねすか〜」と声をかけられました。

そして問わず語りに「昔、浜で働く女性は寒い冬に皆でこれを飲んで作業したものっしゃ、お産しても姑に気を遣ってそんなに休んでられなかったし・・・、この匂いがいいのよよねぇ〜」と昔を懐かしむように話してくれました、無論、私がその「さふらん湯」の社員だとは知るよしもなかったのですが・・・。
仮店舗の薬局にも「さふらん湯」POPが貼ってました、おなじみの黄色のPOPです。

2013年02月18日

震災(3.11)から2年

3.11震災で宮城県名取市の閖上海岸は壊滅的な打撃を受けました、早いもので震災から二年が経とうとしています。

当社は閖上に通じる幹線道路沿いにあり、連日ひっきりなしにダンプカーや大型重機を乗せたトラックが往来・・・、旭川、帯広、室蘭、青森などトラックのナンバープレートは県外ナンバーも多く見られます。
しかし閖上海岸は全く復興の兆しもありません、震災から二年目の春になりましたが、閖上海岸の日和山から見る瓦礫焼却プラントの煙、そして仮社の湊神社が寂しく感じられました。