創始者「遊佐快慎信春」 (1)
塩釜蛮紅華湯(さふらん湯)は幕末天保年間、宮城県塩釜市で産科を開業していた遊佐快愼信春によって「婦人の妙薬、血の道の薬」として処方が開発されました、処方が開発されてから今日まで180年間に渡り飲み継がれてきました。
遊佐快愼信春は1782年(天明2年)、宮城県玉造郡(現在の大崎市)の「尿前の関」の関守「遊佐家」十三代当主遊佐平蔵信行の次男として生まれました。 医学の道を志し当時産科医とし名高い「賀川子玄」(京都)に師事して産科学を会得しました。
賀川子玄の下で産科医としての修業をつみ、一貫堂流漢方を修めた遊佐快慎信春は1830年(天保元年)、宮城県塩釜市に鎮座する「奥州一宮 塩釜神社」参道脇に産科「遊佐一貫堂」を開業し産科診療を始めました。
そして、当時の南蛮貿易によって我が国に伝来して間もない「サフラン」の薬効(末梢血管の血流改善効果)に着目、サフランを用いて一貫堂流漢方体系に基づいた婦人の妙薬・血の道の薬「塩釜蛮紅華湯」(さふらん湯)処方を開発したと伝えられています。
塩釜蛮紅華湯(さふらん湯)は、安産の神として広く信仰を集める塩釜神社参道脇の産科兼薬舗「遊佐一貫堂」が扱う婦人薬塩釜蛮紅華湯(さふらん湯)は婦人の妙薬として陸奥東北はもとより広く関東にまで知られることとなり、実母散、中将湯と並び三大婦人薬と評されました。
さふらん湯の処方を開発した初代遊佐快愼信春は1838年(天保8年)55才で没しましたが、快愼信春の子「遊佐快愼信高」がその後を継ぎさふらん湯の名声を広めることとなりました。
【参考資料】
「塩釜遊佐一貫堂とサフラン湯」 和漢薬449号 矢数道明 (1990年10月)
「薬舗遊佐一貫堂小史」 日本医薬新報別刷3558号 村主 巌 (平成4年7月4日)
※参考資料中にある蛮紅華湯の画像は、現在市販されているものと異なります。
※賀川子玄は産科医として名高く、「産論」を著し「娩出術」や「鉄鉤」の発明など多くの産科医術を発明、その術式は一子相伝の秘伝とされたと伝えられています。